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序幕 冬と春の間

冬が終わり、春が来ようとしている。空気はまだ少し、冷たい。 大学の帰り道。高校から帰る途中で捕まえた国鷹とともに、たくさんの桜が植えられた道を歩いていた。 この道は毎年、見事なまでの桜が咲く。俺の、数少ない楽しみだ。 「今日は良いことがある気がするなぁ」 弾む俺の言葉への返答はない。またいつものか、と呆れているのかもしれない。返答を考えたり、聴いていない、というのはないだろう。国鷹とは、そういうものだった。 それに、俺はそれを気にするような性分ではない。 ただ、胸の辺りで何かがうずいたが、気にしないようにした。 国鷹が俺の少し後ろを歩き、ついてくるのを感じる。すると、胸のうずきは、すぅ、と消えた。 気分がいい。 少しして、「何か面白いことでも起きないか」と、国鷹を見て言ってみると、国鷹はため息をついた。 「お前の言う『面白いこと』はそうそう起きるものじゃない。それに、それが起きたら困る」 「何故」 国鷹は何も言わない。少し待ったが、やはり何も言わない。 知っている。国鷹は、それを一番恐れるから言わないのだと。 知っている。国鷹の、言いたいこと。十年前に、泣きながら言われた言葉を、国鷹は今でも言うから。 目を伏せ、左手で右手の袖を掴む。今にも泣き出しそうな顔が、俺の胸を刺す。 「……わかったわかった。俺の言う『面白いこと』は起きない。だからお前が困ることもない」 「……なら、いい」 国鷹が歩き出す。俺に顔を見られないように、俺の前に出て、歩いていく。 (俺は、何回お前を泣かせればいいんだろうな) ぐす、と鼻をすする音が聞こえてきて、胸の辺りが痛み始めた。 無言が続く帰り道で思う。 俺と国鷹の思うことは、真逆だと。 俺の言う『面白いこと』は、国鷹には『面白くない』と思われ、国鷹が『良し』としたことは、俺は『悪い』と取る。 それが俺達の立場から来るものなのか、性格からなのか、それとも経験からなのかはわからない。 わかるのは、感じるものは真逆でも、同じものを見ているということ。国鷹は、必ずついてくるということ。そして、そう長くない道を、二人して見据えているということ。 永遠があるとは思っていない。だが、この心に浮かんだものは、俺の中では永遠だった。 だけど今、何故かそれが無性に悲しく、寂しい。 「……何を考えている、七月(ななつき)」 心地の良い低音が、俺に届く。前を歩いていた国鷹が振り返り、俺を見ていた。 「……この道は何処まで続くのかと思ってな」 国鷹が、眉を寄せるのが見えて、思わず苦笑いした。 息を吐いた国鷹が俺に寄ってきて、宝石を磨いたような綺麗な瞳で、まっすぐ俺を見る。 「何処まで続いても、たとえその先が地獄でも、俺はお前とともに在る」 鮮烈で美しく、残酷にも感じられるような言葉だった。 「そう、だな」 そろそろ、気づいていないフリをするのも、限界かもしれないと思う。 俺のせいで、国鷹の心が死んでいく事実に。 国鷹の言葉に、依存していっている事実に。 (なみだが、でそうだ) はぁ、と聞こえてきたため息に、心臓がはねた。 その次の瞬間、頭を掴まれ、わしゃわしゃと髪を混ぜられた。 「う、うぅ! く、にたか! なに」 ピタ、と手が止まり、頬を少しささくれた手が包んだ。そして、顔を引き寄せられ、国鷹と視線が合う。 「……俺は、お前の、だろう?」 きっと。 「そうだな」 依存して、寄りかかって。 その少し困ったような優しい笑みに、いつか見た何かを重ねて、甘えて。 でも今はまだ、何にも気づかないフリをしていたかった。気づいてしまったら、何かが終わる気がしたから。 流れた沈黙に、言いようのない照れくささを感じていると、わー! と子どもの騒ぐ声が聞こえてきた。 二人してその方向を見ると、数人の子どもがボロボロの鞄を持って走っている。 「夜霧の鞄ゲットー!」 獲物を捕ったことを誇るように、子どもは鞄を高々と持ち上げる。そして他の子どもに投げて渡し、走る。 「ひゃー! きったねー!」 汚いものに触れるのを嫌がるように、子ども達は次から次へと、他の子どもに鞄を投げつける。 よくある光景、と言われればそれまでだが、あまり良い気分ではなかった。 そう感じていると、ドサッと横から音が聞こえ、思わず視線をやる。体格からすると……女子か。それにしても、少し痩せている気はするが。 国鷹に視線をやると、その意味に気づいた国鷹は、女子に近づき「大丈夫か」と声をかけた。しかし返事がない。様子をうかがっていると、手をついて起き上がった。地面を見ているのだろうその顔に、焦燥を浮かべて。 ゆっくりと顔を上げる。視線は声をかけた国鷹ではなく、子ども達と鞄。 女子が目を少し細める。先ほどの焦燥とはまったく違う、その目に浮かんだのは、殺気だった。 その殺気に頬を撫でられた気がして、ぞくり、とした。 「……お前、は」 思わずそう声を発すると、殺気が消え、女子がハッとした顔で俺達を見た。 その顔に、年相応であろう不安が浮かんで、消えずにとどまった。 「派手に転んだが、痛くないか?」 国鷹が優しい声でたずねると、「痛い、です」と返ってくる。状態を見ると、むき出しになった両膝から血が流れている。 その血を見て、喉が熱くなる感じがした。その覚えがある感覚に、頭がぼんやりしてくる。 だが。 「ぐっ!?」 膝を拳で殴られた。あまりの痛みに思わずその場にしゃがみこむ。 「少し待っていてくれ」 国鷹が自分の鞄から何か出そうとしている。それを見る限り、手当てをしてやるつもりなのだろう。 「そ、れはいいが……何故、俺は今、殴られたんだ……?」 「……お前に仕事をやる。胸に手を当てて、殴られた件についてよく考えていろ」 よくわからないが、とりあえず胸に手を当ててみる。いかん。痛くて泣きそうだ。 「あ、あの……」 「沁みるのは我慢しろ」 テキパキと準備をし、手当をしていく。その様子をじっと見ていたが、我慢したり、一息ついたりしているのを見ていたずら心がわいた。 「国鷹、いけないことをしている気分にならないか?」 「なるかド変態」 一刀両断だった。 女子はきょとん、とした顔をしていたが、少しして顔が赤くなった。 「意味がわかってしまったか。失礼した」 「そういうのをセクハラと言うんだぞ」 膝に絆創膏を貼りながら、国鷹は俺のほうを見もせずに言った。 「これがかの有名なセクハラ……」 「よかったな。また一つ賢くなれて」 「……お前、いくらなんでも俺を馬鹿にしすぎではないか?」 国鷹は何も言わず、道具を鞄にしまい、「終わったぞ」と言った。 女子はおろおろしている。 「……国鷹」 「待て。今考えている」 「何を」 「その事実をきちんと受け止めてもらいつつ、お前のやる気とか……そうだな、えーと……自尊心とか……その辺の何かを傷つけない言葉を」 心の中でもう一度国鷹の言葉を言ってみる。 「要するに、だ。俺が馬鹿だと」 「そういうことだ」 「お前……傷つく……」 俺を見て国鷹が首を傾げて「だがお前は認めた」と言う。 「それはつまり……そういうことだ」 一理あるので、返す言葉に困っていると、くすくすと笑い声が聞こえた。 女子が笑っていた。いつか見た、懐かしい顔で。 「仲、いいんですね」 「そうだなぁ」と俺が言うと、「そうでも……」と国鷹が続いた。 「付き合いこそ長いが、いつまでたっても笑顔がうさんくさくてな。目的が一緒だから、こうしているだけだ」 「……さすがに傷つくんだが?」 口元を手で押さえて、泣くフリをしてみる。 「本気で泣きたいなら、俺の胸くらい貸してやるぞ」 「違う。そういう男前な台詞が聞きたかったんじゃない」 よくわからん、と言いたげな顔をしたあと、国鷹が空を見た。 「ほら、鞄も戻ってきたぞ」 俺達の頭上を、鷹がくるくると回っていた。その足に、ボロボロの鞄を持って。 「いつのまに……」 「さっき指示を出しておいた」 鷹が主である国鷹の側に来て、国鷹は持っていた鞄を受け取った。鷹は国鷹が差し出した左手に止まる。 「いつも思うが、痛くはないのか?」 「慣れた。……多分、慣れてはいけないと思うんだがな」 「いやぁ……主人と違って良い子だな、お前は」 労る意味で頭を撫でてやろうと思ったら、顔を背けられた。 「前言撤回。主従揃って嫌な奴だな」 「お前に裏があるのを知っているからな。だから嫌われるんだ」 それに関しては何も言えなかった。 ふと女子を見ると、ぽかん、とした顔をしていた。 「賢いだろ」 国鷹が微笑む。     「それも、そうですけど……」 いい言葉が見つからないのか、女子はそれ以上言葉を続けなかった。 「物語やテレビじゃないと見ない光景だろう? なあ国鷹」 俺を見た鷹の頭に手を近づけると、噛まれた。 「こ、この馬鹿鳥……!」 「……絶対こうなるってわかっていてやるお前もばか……あ、いや……うーん……」 「国鷹、お前……覚えていろ……今度絶対泣かしてやる……」 はいはい、と言いながら、鞄を女子に渡す国鷹。ありがとうございます、と女子はボロボロの鞄を抱きしめた。 「余計なことを言うかもしれないが……親や教師に相談したほうがいいんじゃないのか」 女子の瞳が揺らぐ。 「……親、いないんです。親戚も、先生も、あんまり私と関わりたくないって……」 女子はうつむき、黙ってしまう。 「……じゃあ、俺と同じだな」 「え?」 「俺にも親がいないからな。兄と姉が親代わりだが……」 俺にもいないぞ、と言いかけて、父と認めたくない男がいることを思い出して、やめた。 国鷹に両親がいない事情と、俺に母親がおらず、父を父と認められない事情は、違う。 (……唯一の親にすら息子と認められないなら、親なしも同然だがな……) 「愚痴聞きくらいなら付き合うから、声をかけてくれていいぞ」 「……ありがとうございます」 女子は、泣き出しそうにも見えた。国鷹が何も言わないので、俺も何も言わないでおいた。 「……そろそろ、帰らないと……鞄と手当、助かりました」 先ほどと比べると、酷く暗い顔をしている女子に、国鷹は「気にするな」と言う。 頭を下げて、俺達に背を向ける。歩き方が少しおかしいのは、膝が痛むからだろう。 「……どうするんだ?」 国鷹の言葉の真意を拾い上げ、ふむ、と少し考える。 「野良は拾われるか、他に殺されるかだ」 国鷹の真剣な視線を感じる。国鷹は、待っている。 「……お前から見て、あれはどうだ?」 「よく研ぐことが出来れば、とてもいいな。……逸材だ」 「そうかそうか。なら放っておくわけにはいかないな」 俺達は、女子が去った方向を見た。きっと、今胸の内にわいた感情は、同じものだ。 酷く懐かしい、もう戻らないものだった。 「……迎えに?」 「いや、そう遠くないうちに会えるだろう。それまでは、まだお前一振りだ」 笑うと、そうか、と言って国鷹も笑った。 「しかしあいつ、辛くてもへらっと笑うところがお前そっくりだな」 国鷹の発した言葉に、思わず顔をしかめた。 「俺はお前そっくりだと思ったが? 俺を見たときの、あの不安そうな顔が」 眉を寄せ、「そんな顔をした覚えはない」と言う。 「ましてや、お前を前にして不安なんて、な」 「俺だってへらっとした覚えはないし、辛いなんて思ったことは」 二人して黙り込む。国鷹はむぅ、という顔をしていたので、多分俺も似たような顔だ。 「……帰るか」 「ああ……」 と、一歩進んで止まる。 「その前に」 振り返り、一歩下がる。代わりに、国鷹が前に出た。 前方に黒いもやが出てくる。 「どうする? 主殿?」 「決まっている。俺達を害するものは……」 「始末だ」 不思議な人達だった。優しいけど、普通とは違う感じ。 仲が良さそうに見えたけど、違うらしい。友達なのかなって思ったけど、違う? 友達なんて、まともに存在したことがない私には、わからない。 (どんな感じなんだろう) 考えてもわからないので、考えないことにした。 (鳥、かっこよかったな) あんな近くで見たことがない。大きくて、かっこよくて、強そうで。あんなものになれたらいいのに。 素敵なものを見て、心が弾んでいたけど、だんだんそれも収まって暗い気持ちになる。 「……帰りたくないな」 あんなところ、家じゃない。だって、誰も彼も私を見ない。私をいないもののように見る。視線を合わせてくれたことなんて、数えるくらいしかない。 いつか、さっきの人のように、親がいないんだなんて笑える日が来るのだろうか。 「こわいな」 田中煙硝

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